●タクシーでは、一言、「柳町大日堂まで」、と。
初めてご来店される方への目印として良くご案内するのが、当サロンの隣のこじんまりとした神社「柳町大日堂」です。仙台一番町1丁目にあるサロンの近所にはウエスティンホテルなど高層ビルが立ち並んでいますが、ここのお堂のある場所だけは穴が開いたようにグッと背が低くなっています。実はこの神社は、伊達政宗公が仙台の街を作るのに関係した建物です。
碁盤目状の区画が多い一番町の界隈にしては珍しく、サロンの周囲は微妙に入り組んだ路地になっています。そのせいか、サロンの場所をなかなか見つけられないお客様がいますが、その名前をタクシーで伝えれば恐らくピンポイントで、迷わずご来店いただけます(運転手さんの力量しだいかもしれませんが)。
●町ぐるみの引っ越しの繰り返し「柳町」
お堂の名前になっている「柳町」とは、50年ほど前になくなった、江戸時代由来の旧い町名から来ています。柳町はいわゆる町人たちが住んだ町・町人町でしたが、この人たちは政宗公の度々の引っ越しに付いて転々としてきた人々した。
元々の柳町は、米沢(ヒトの横顔に似た山形県の形からすると、うなじの辺り)にありましたが、そこから、宮城・岩出山 ⇒ さらに仙台の西公園周辺 ⇒ そして現在の一番町へ、と町ぐるみのコミュニティーが移転、移転を繰り返してきました。他にもこういった町がいくつかあり、まとめて「御譜代町」と呼ばれていました。[譜代]=同じ主に仕えること、との意味からも、仙台の発祥にかかわる旧くからの町であることが分かります
●お堂の意外な使われ方
政宗公が仙台の街を建設するときに、町割り(=今で言うところの、区画整理や土地計画)に使った縄を集めて焼き、城下鎮護のためにその灰を埋めた所に大日如来が安置するお堂が建てられたのが大日堂のはじまりです。このお堂、通常は寺子屋として使われていましたが、有事の際の伊達家の間諜(スパイ)としての任務をもっていたようです。実際ここを訪れると、かつての子供の学びの舎だったことがうかがえる、のんびりした雰囲気が感じられますが、それとは全く正反対の性質の意外な役割をもった場所でもあったようです。
現在では、敷地内に置かれたベンチに座って、街の喧騒を忘れてゆっくりする人がちらほらと見受けられるなど、「ビル街のなかの静かなオアシス的な趣き」もありますが、その場所が一変してにぎわう時期があります。一つがどんと祭、もう一つが夏祭りです。
いつもは、アロマの香る、静かな当店ですが、この時ばかりは、お焚き上げのほのかな煙の香りが漂い(どんと祭)、設営された仮設ステージのコンサートなどからの多彩なジャンルの音楽がにぎやかに流れてきます(夏祭り。KHB放送「突撃!ナマイキTV」などでおなじみ(?)の本間ちゃんもゲストでやって来ました。)。このタイミングでお越しのお客様は、いつものサロンと一風変わった雰囲気をお楽しみいただけるのではないでしょうか。